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紅葉の季節に合わせ東北方面に泊まりがけでツーリングに出ようと夏の終わりから考えていた。しかし仕事の関係や費用の捻出などの問題もあり実際に旅立てたのは11月に入ってからになってしまった。しかも2泊で東北も北部の方に行きたいと思っていたわけだが1泊で南部という風に計画の縮小してしまった。
多少は忸怩たる思いもあるなか早朝のJR桐生駅から列車に乗り込む。小山駅で新幹線に乗り換えるが行楽客で混み合うことを覚悟していたが拍子抜けするほどの空き方であった。最後尾の自由席車両をほぼ独占したような格好で福島駅まで車窓に次々と映り変わる日光連山、那須火山、安達太良、吾妻の山々の姿を楽しみながらあっという間に着いてしまった。今回のツーリングは距離、標高差もたいしたことはなく「のんびりと走る」ことを楽しみにしてきた。輪行袋を開け、ゆっくりとしたペースでライジンクロスバイクをを組み立てた。
9時に出発した。今日は板谷峠を越えて米沢までの行程。米沢街道とも板谷街道とも呼ばれるこの道は本来は奥羽本線と近いルートを通っていたが現在は国道13号線の東西の栗子トンネルを抜けるルートが交通の主力となりすっかり寂れてしまっている。その分サイクリングには適したフィールドとなっていると思って出かけてきたのである。板谷まで李平宿跡を経ての旧道は今回はパスした。いろいろな情報は検討したが徒渉がありそうだしルートも一部情報が混乱している風もあったし、山支度もしてきてないのでR13経由で板谷を目指すことに決めてきた。
市内を北に向け走り抜け十六沼公園を経てR13号に出る。
冬型で強い西風に向かってのサイクリングだ。十六沼公園はスポーツ施設なども整い爽やかな雰囲気で福島市民の憩いの場ともいえそうだ。川子坂の急坂を登り国道に合流すると一気に交通量が増えた。国道走りがしばらく続くがそこそこの登り道でトンネルの区間も多い。しかも拡張工事をしているようで大型のダンプカーや資材運搬のトレーラーがやたら多い。路肩の狭いトンネルはまさに恐怖の穴蔵である。凄まじい轟音が響く中スリル満点(というのかなぁ)の走行だ。西風も相変わらず強く結構きつい。長い長い東栗子トンネルを抜け漸く国道筋とお別れとなり実に安心した気持ちになった。
板谷大橋を渡りすぐ左折すれば板谷の集落はまもなくである。この辺りは奥羽本線の難所として鉄道ファンには名高いところらしい。険しい山越え区間のため赤岩、板谷、峠、大沢の4駅にスイッチバックが設けられいたということだ。板谷集落は実に閑散としていたが板谷駅には写真を撮りに来た人が何人かいる。私は鉄気はないので数枚コンパクトカメラのシャッター押しただけで立ち去った
。ここから板谷峠への本格的な登りが始まる。さっきまでトラックどもに追いかけ回されていたのが嘘のように静かな広葉樹林の中をゆったりとした気分でまたゆっくりとしたペースで登坂する。いくつかの米沢街道の史跡の説明版を通り過ぎ峠駅の分岐となる。現在の板谷峠(新板谷峠?)は直進だが旧の街道筋は峠駅に向かい奥羽本線の通るルートを行ったようだ。峠駅に立ち寄ることにする。分岐から一登りで板谷峠である。何もなく下車もせず通過し峠駅へのダウンヒルとなる。下りは快適だが標高差で150mほど下ってしまう。分岐までの登り返しが鬱陶しいような勾配が続いた。
峠駅は「峠の力餅」の看板を掲げる茶屋が一軒在るだけで跡の建物は無人のようだ。
数組のドライブの観光客とモーターバイクのツーリストが来ていた。スノーシェードに覆われた駅舎や路線区間は雪深い山国独特の風景だろう。時間も昼食にちょうど良いので茶屋にはいる。数組の客がいた。西からの冷たい季節風にさらされ続けて体も冷えていたので暖かいものをと「雑煮餅」を注文した。けんちん汁風で野菜もたっぷり入り体が良く温まった。
元来た道を上り返す。分岐に戻り左折する。疲れても来たのかやたらきつい坂に感じる。トリプルをインナーに落としてゆっくりと登っていくと高原状の風景の中まもなく(新)板谷峠である。送電鉄塔の下で何もない。水筒のお茶を一口ゴクンとやっ
て下りにかかる。簡易舗装が風化したような路面だがまずまずの楽しい下り道だ。素朴な雰囲気の笠松鉱泉を左手に見ればまもなく奥羽本線の踏切を渡り大沢集落にたどり着く。野良仕事のおばあさんに「こんにちは!」と挨拶したらにこっと嬉しそうに会釈を返してくれた。しばらくは奥羽本線に沿うかたちで走行し水窪ダムからの道を合わせ米沢市内に入ったのはまだ日の高い昼下がりの2時。走り足りない気分もあるが、上杉家の城下「米沢」を満喫することにしよう。(その後の顛末はブログ米沢牛は遠かったを参照してください(--;)
例によって飲み過ぎて早立ちなど出来るわけがない。チェックアウトは8時半。南へと向かい走り出す。米沢から会津へは現在は大峠トンネル(国道121号線)がメインルートであるが、今回は静かな道ということで旧会津米沢街道を辿ることにしている。
実はR121の旧道大峠越えも魅力があり、いずれ再訪しなくてはならいと思っている。明治の鬼県令三島通庸の道路開削の中で「万世大路」と並ぶ「代表作」(この言葉が適切かどうか?)の一つである。地図を見ただけで会津側の九十九折れは血の気が引くような凄まじさである。しかし今回それ以前に使われていたルートを辿る。山襞を縫うようにいくつかの峠を越えて会津を目指す。
まずは小さな船坂峠。今はトンネルが抜けているが旧道(車道)を見つけ一登りで峠へ。写真を撮ったり休憩していると私と同年配か?「エディメルクス」ブランドの古いレーサーが追いついてきた。30年モンのバイクですな。船坂峠の下りはほんとに短くすぐに立石の信号にでる。
「メルクス」氏は市内方面に右折、私は直進し関の集落に入り綱木峠にハンドルを向ける。関の集落は宿場の雰囲気が多少残る。綱木峠道はほとんど自動車の通行はない。地元の軽トラが何台か通ったくらいであった。ウンウン言いながら思った以上のアルバイトで峠に着くが、静かな感じは悪くないが展望はゼロ。しかし今日の前半のポイントであるには違いないので大休止して、お茶にする。
下り着いた綱木の集落はやはり寂れた感じである。この数年訪れた東北地方の山村は何しろ活気がない。誤解を恐れずにいうと「ゴーストタウン」に近いイメージを持つことがある。何しろ子供の歓声が聞こえず老年配の方が多い。なにか、日本の社会はどこへ行ってしまうんだろうと思わずにはいられない。集落の南端で道が二手に分かれる。通りかかった山仕事に行くと思われる軽トラを止め、檜原はどちらかを聞く。最近目がトンと悪くなり、地図を見るのが億劫なのでついつい人に頼る。
綱木川沿いに登りだすと道はまもなくダートとなる。しばらくは踏ん張っていくが路面に敷いたばかりの細かめの砕石がどうにも辛い。MTBのブロックタイアなら何とかとも思うがパターンのすり減った32Cで私の脚力では無理。押しで行くと決め込む。標高差500mくらいか?のんびり押していくのも風情があるぜ!しかし、また風が強くなってきた。辺りの樹木がゴウゴウと咆吼している。やがて沢を離れ景色が開けてくると峠は近い。たどり着いた峠は新檜原峠とでも呼べばよいのだろうか。本来米沢会津街道の檜原峠はここから北西に1300mの鞍部である。いつかチャンスが在れば探索したいものだ。切り通しの峠は遮るものと手なく風の通り道である。ウィンドブレーカーを着込みお茶で少々のパンを胃に流し込む。下りはじめはやはり砕石で快適とはいえないがすぐに走りやすいダートなる。
途中、旧檜原峠へに分岐があり道幅も広く刈り払いもされている。綱木側はともかくこちら側からは峠まで行けるようだ。道は更に快適になりリジッドな自転車でもがんがんとばせるダートは貴重だ。しかしいい気分でいたのも僅かで意外と早く舗装ととなってしまう。まもなく金山集落を抜け檜原湖北岸に出る。紅葉も終わりオフシーズンとなった湖畔はちょっと寒々しい。そのまま檜原集落まで急いだ。
ここで昼飯にしようと思っていた。おあつらえ向きに「新蕎麦」「手打ち」の看板が嬉しい蕎麦屋が一軒。
結構込んでいて店の外にも待っている人がいた。「あと1時間は無理みたいだよ。」の言葉に、「そんなに待たせる蕎麦屋は手鈍で旨いわけがない」、と勝手に決め込んだ。そうなると在るものを食べて喜多方でラーメンと行くかと予定変更で近くのバス停の待合い小屋で風を避け、手持ちのおにぎり、パンで取り敢えずの腹をふさいだ。
檜原からは会津街道をいく。「蘭(アララギ)
峠」「大塩峠」の二つを越えるが基本的には下り道だ。蘭峠までは短いが意外と手強い登り、しかし峠からは快適なサイクリングが出来る。街道の歴史にまつわる様々な説明版が各所に設置されそのたびに足を止め読みいる。車道はほぼ旧街道通りの道筋のようだが、所々旧の歩道と交わる。そうした場所にも旧道の表示がある。途中行き会った地元の人としばらく話をするが、地元ボランティアで刈り払いなどしているそうだ。ご苦労様です。紅葉を楽しみながらの下りは快調で楽しく走れた。やがて大塩温泉で国道459号線に合流する。ここから喜多方までは一走りだ。市内にはいると3時近いのに行列の出来ているラーメン店もある。適当に自転車を止めやすい店でビール、ラーメン、餃子のおきまり3点セットで一人宴会。喜多方駅にて愛車を畳む。
ちょっと走り足りない面もあったが、先を急ぐこともなくゆったりとした気分で一人旅の気楽さを十分に味わえた二日間であった。