桑ノ代峠辺り 2009 年 11 月 22 日
晩秋の3連休ですが、微妙に仕事が絡んで遠出ができない状態です。近場半日コースでお茶を濁すしかないですね。
そんなわけで11月21日(土曜)は3日間で一番天気が良さそうなのでとりあえず出かけてみました。行き先は大間々町近くの小さな峠巡りと言うことでライジンパスハンターです。日帰り登山一式のザックを背負いますが重くて自転車漕げるのかいなと出発と同時に泣きが入ります。まずは大間々北部の塩沢地区を目指します。大間々北部の小平や塩沢の谷から渡良瀬川本流の谷へと超える峠道は数々ありますが何れも地味で、また廃道に近いものが多いようでよほどの物好きでないと峠越えをしたいとは思わないでしょうね。その物好きさんがたおたわさんであり激坂さんです。実は20数年前になりますが、一定時期この地域の峠に通っていました。その当時は5万分の1地形図の破線の峠道を赤鉛筆でなぞるを趣味としていまして、安蘇、前日光などとともに自宅から至近なこの地区もその対象となっておりました。悪友のA君とともに自転車と一升瓶を背負って徘徊し峠で酒宴を繰り広げること度々でした。
しかし当時はネットもなく入ってくる情報はあまりないわけでして、一応は一通りは「超え尽くした」つもりでもネット時代になり次から次へと「新しい(知らなかった)峠」出現して来るではありませんか!!前述のお二方の詳細な記録を元にこの地区にまた通ってみようと思い始めました。
手始めは「桑ノ代峠」。ちっちゃいので今の私向き。福岡大橋手前のコンビニでお昼ご飯を仕入れて塩沢への急坂をひーひー言いながら登ります。小春日和の訳なんですが、北風がピープーと強くなってきました。たおたわさんや激坂さんの書いてあるとおり「オオムサキの森」から峠道に入ります。木橋をわたりすぐに広場。「オオムラサキの森」のイベント用の広場で田んぼを埋めて作ったようです。
多少荒廃した感じはしますが、地元の有志がきちんと運営しているようです。ここには小屋がけや写真の展示用パネルなどがあります。情報のとおり小屋から右手の沢沿いに進みます。この辺り踏み跡が数多く錯綜してます。あくまで沢沿いの広い道を進みます。
本日仕入れた情報としては「桑ノ代峠道」は
1.馬で荷物を運んだ。
2.大間々に編入(1958年)される前は黒保根村の一部であったので郵便は「水沼局」から峠越えで配達された。
くらいですね。激坂さんのページに詳しいのでそっちを見てね。でも郵便配達人は自転車で峠越えしてきたのでしょうか、それともモーターバイク?聞き損ねてしもうた。
広場から5分も進むとやや道が不明となりますが、右寄りにかまわず登ればしっかりとした巻き道となり数回ジグザグを繰り返した後(この辺りいかにも旧道らしい)篠竹の峠に到着です。あっけないです。峠には本当になんにもありません。石仏か石祠でもおいとけよ。>地元の皆様。とりあえず証拠写真を1枚撮って下りにかかる。急斜面を巻いていく道はすぐに暗い植林帯となるが、道型は素晴らしい保存状態です。たおたわさんは9割乗ったそうですが、私は1割です。檜の枝打ちした後でその散乱物で歩くのも億劫な位でちょっとがっかりです。山サイ研の名手なら100%の乗車率でしょう。
下りついた桑ノ代の集落は北向きですが意外と明るい雰囲気で銀杏の見事な黄葉が印象的でした。その後は渡良瀬川左岸の道を八木原へと向かい荒神山への車道を上りました。急坂にめげてへろへろと押していきましたが、右手に赤城山が大きく絶景です。
駐車場からダート道を進み塩沢峠(奈良坂)を約25年ぶりに越えてから風が避けられる日溜まりを探ししばし彷徨。絶好の場所を見つけ遅い昼食とお昼寝。いつまでもこうしていたいと思いながら微睡みました。風は冷たかったけれども良い半日でした。1時間くらいのアプローチでこられるこの地域はなかなか良いところです。この冬にはもう何度か訪れたいものだと思いました。
笹藪の1日(上信国境矢沢峠) 2009 年 11 月 10 日
サイクリングサボっていてすいません。今回もサイクリングしませんで、久しぶりの山歩きです。
11月の山サイ研の集中ランは上信国境の「矢沢峠」11月7日午後0時集中と言うことで行われました。国境の峠とはいえマイナーとはこの峠のことといえるほどあらゆる面で忘れ去られている峠です。しかし我が山サイ研から見ればこれこそが本領発揮のツーリング気分満点の峠となるのです。
私は今回は県境尾根を歩きたいので条件的、体力的に不安があり自転車抜きの山旅です。大上峠に自動車をデポして県境尾根を矢沢峠を目指し辿ることにいたしました。事前に得られた情報からはかなりしんどい笹藪の連続と覚悟しておりましたが、実際その通りでして、2m以上のびた笹藪の底を僅かな切り開きというか踏み跡を頼りに左右の手で笹をがっしりと掴みながら懸命に登坂するのみでした。(全行程の7割は藪漕ぎね!)
広小屋山東の方に登りつき綺麗な雑木の尾根を西に向かい「広小屋山」三角点に到着。三角点の石標以外は一切の人工物のない山頂は、貴重な静けさ。小春日和の日溜まりで霞んだ遠望する山々が愛おしい。大休止、お昼寝タイムで山に来て幸せと感じる一時でした。
ルートファインディングを繰り返しながら矢沢峠に下降していく。笹との格闘は相変わらずだが下りなので先ほどよりはましです。峠方向から人間どもが歓談する声が聞こえます。先着した仲間の声に違いなくルートを外してないことを確信して安堵する。間もなく峠着。矢沢集落から古来の峠道を辿ってきた仲間が、数名寛いでいて笑顔で出迎えてくれた。当然私も満面の笑み。
やがて、余地峠方面の尾根筋や矢沢からの峠道から次々とメンバーが到着。結果12名が集中。このようなところに12人のホモサピエンスと11台の自転車が集まったことは歴史的なことと思うが誰も何のコッチャ分からんかな。
さて下り。上州側の峠道を辿ります。進行方向左手へと巻いていく道は確かに存在します。国土地理院の地図とはだいぶ違うルートです。(峠の位置もGPSデータからすると地形図よりやや北になります。)山歩き関係の情報では「矢沢峠群馬側」は「道はない」とする情報が多いようですが、この峠道については「道はない」というのは「執念がない」ということです。執念深く拘りを持って深く手強い笹と格闘し会話できれば道はあるのです。事実この日我々山サイ研メンバーは8割方大上林道までの旧道のトレースを貫徹しました。笹藪の底に埋もれ、沢筋に僅かに残る旧道は、それを辿ろうとするものにのみ姿を見せるのです。(空身のくせに偉そうに言うな!)
下山後の下仁田での打ち上げも楽しく、しばらく燻っていた小生にとって刺激的な一日でした。
穴切峠から高戸山 2009 年 4 月 6 日
寒い間はポタリング程度でほとんどオンロードでお茶を濁していました。何となく年齢のせいにしてだれきっていたのですが少し生活面も立て直して意欲的なサイクリングなり山行をして行きたいな、などと二日酔い朝寝の寝床で思案しておりました。もたもたと起き出して見ると暖かい、風は少々強いが出かけてみるか?と缶ビール1本を気付けに胃に流し込み10時出発。あにねこさんのHPやおっさんの山旅で気になっていた「高戸山」に行ってみよう、足慣らしにちょうどいいだろうということですね。はじめは自動車でアプローチしようと思ったんですがなるたけ自力で健康的にと自転車でアプローチ、ライジンパスハンターのお出ましです。で、穴切峠に自転車おいて往復しようと考えていたのですが、ふと「オッサンの山旅」で皆沢に降りる尾根に作業道が横切っているとの情報を思い出し、もしかして乗車して下れるかもしれないとの悪巧みが脳裏をよぎりました。
穴切川添いの林道は何となく薄暗くて陰気なのですがほどよい勾配とまぁまぁの路面とはじけ飛び小滝の水音が割と良い気分で登坂させてくれます。やがて木橋をわたると道は細くなり急勾配になり自転車は押していくことになります。左上の百庚申の石碑を見て、旧峠道に入りますが荒れ果ててしかもすぐに林道に吸収されてしまいました。林道というか作業道すね、分岐がやたらに多く、迷路みたいです。初めて行く方で1回も間違えなかった方には山サイ研から「ルートファインディング初段」の免状がでますのでエントリーしてください。(真に受けるなよ!!)懐かしい3体の石仏が林道端にあります。この辺はかつては本当に気分の良いいかにも峠道という雰囲気でしたね。何はともあれ100m程残った旧道を辿り穴切峠着です。左手にのっこしている踏み跡が旧峠道ですが辿っていくとまもなく消滅してしまいます。適当に沢底におり下へと進めばやがて老超路峠道への林道となり、採石工場脇で県道に合流します。本日は峠より稜線を高戸山目指します。
皆沢へ下ることにして自転車を担いでいくことにします。迷うこともない明確な尾根で木の小枝が自転車に引っかかり時折往生しますがまずまずのペース。しかし此処で異変。「体調悪い」二日酔いの後遺症か、吐き気に動悸息切れ。ま、しょうがねぇ。。ゆっくり行くべぇ。急な上り下りは自転車引っ張り上げ、引きずり下ろしなど大変大変、なんでこんなものもって来ちゃったのかなぁ、、泣きが入りますが捨てちゃうわけにも行かずひーひー言いながらも最後の急登で高戸山山頂の一角へ上りつきましたが見事なピンクのツツジが満開で迎えてくれました。うれしぃっす!
静かな山頂の佇まいは派手な山名板や「なんのだれべえ」の自己顕示板もなく苔むした祠が祀られこれぞ日本の里山だ。三角点を腰掛けにして簡単に食事。気持ち悪いと言いながらまたビールを飲んでしまった。。。。ちょっと戻り北東へと落ちていく尾根にとりつく。また引きずり下ろしだい。元々悪い膝がぎしぎし言ってるし、自転車をずっと引きずり歩いてるので腰が痛くなっていたわい。大岩を超えて作業道合流で一安心。乗っていけるがかなりしょっぱい、単独行で落車はできないので適当に行く。いったん休憩を取り服装を整えてここから自宅まで一気に愛車とともに駆け下りました。
金沢峠で愛車が吹き飛ばされた、、、 2009 年 2 月 24 日
2月21日(土)は低気圧が去って典型的な冬型の気圧配置。上州名物「赤城颪」が猛威を発揮してました。明日は風も止み、暖かくなることは容易に予想できるのですが、蛮勇をふるって冬眠モードで鈍った心身にむち打ってライジンパスハンターに跨りご出座です。といってももう時間は10時過ぎです。たいしたところへは行けないので近場の小さな峠を巡ることにします。とりあえずは梅田の観音橋から川内の大崩へと超える金沢(かねざわ)峠へとハンドルを向けます。向かい風吹きすさぶ中桐生川左岸の道を観音橋にいたり峠道に入りました。沢底を直登する道は急勾配でかの電撃!激坂調査隊で「激坂」に指定されております。最後の人家を通り過ぎ、山仕事のじいさんに挨拶すると間のなく峠道はコンクリート簡易舗装の作業道となり、ここからは鈍った体に無理させてもしょうがないので押していきますが、そいでもきついです。杉の植林帯は上部でごーごーと風がうなり稜線の強風を想像させてくれます。登山者3人組が下山してきました。強風のためエスケープしたとのこと。そのうちの一人から「このくらいの坂は乗れないの」との御発声を賜りました。ごめんなさいね。
峠の鞍部が見えてくると風の音も増してきます。峠直下の風あたりの少ない日溜まりで中食です。湯を沸かし、芋ジュースをお湯割りにして中から暖まり更にカップラーメンで満足満足。ここから峠までは1分もかからないくらいですからのんびり買ってきたスポーツ紙なぞを読んでます。
さて出発。峠(稜線)にでた瞬間、体が宙に浮きそうになり、担いでいた自転車がもぎ取られました。あっという間に顔と手が冷え切り指先に痛みが走ります。げげ!!退散。元来た方向にちょっと戻り、装備を調えます。マフラーを顔に巻き「目出し帽」代わりにして、グローブもゴアの冬山用に換えました。気を取り直して峠に戻り写真を数枚取り、川内めがけて下山開始。実はこの後もう一山、川内から小平に超える「駒見峠」(ここもいい雰囲気なんだな。)にいくつもりでしたが「戦意喪失」で頭の中は「家帰って炬燵」でいっぱいです。
金沢峠道川内側は荒れてます。踏み跡を辿ると左に反転するのが峠道ですが、分かりにくいです。南方向に巻いていくのですが間のなく沢の源頭で道は途絶えます。悪場はないので沢を下ればやがて踏み跡が現れまもなく林道へ飛び出します。「わ~い!後は家まで追い風だぜ!」となり30分後にはお待ちかねの炬燵でした。じゃんじゃん。
十石峠の親子鷹(父子鷹とかくのかなぁ?) 2009 年 1 月 11 日
行き倒れ寸前のぶどう峠から奇跡の生還を果たした私目は宿での宴会を温和しく過ごし同宿の皆様に褒められました。さて翌1月2日は恒例の十石峠越えです。偉大なるマンネリと言われる中で今回は特筆すべきことがあります。それはO氏親子の参加です。知る人ぞ知る(知らない人は知らない)自転車ジャーナリストO氏はその世界制覇の野望を嫡子Kちゃんに託すらしい。今回は小学5年生のKちゃんが十石峠越えに挑戦します。天気はグッドでサイクリング日和です。おじさんたちはいつものようにそれぞれのペースで武州街道を上州に向かって走ります。Kちゃんは回転走法。軽いギヤをくるくると回してます。おじさんたちのペースと十分にシンクロするスピードです。古谷ダムを過ぎ勾配が増してもKちゃんの回転力は衰えません。
私を含めた数人のおぢさんを引きちぎり峠に先着してしまいました。え、こういうときは「脱帽」と言うんですが、峠はさすがに寒く帽子は脱ぎませんです。くそ、来年リベンジしてやる。といっても向こうは来年はさらにグレード上げてくるから落ち目のじじぃじゃもう勝つチャンスはない!下り道の凍結や寒さに子鷹を気遣う親鷹の姿を横目に見ながら今夜の宿上野村は野栗沢の「すりばち荘」に向かいました。その夜はいくらか調子も出てお酒もおいしく頂けました。Kちゃんが自転車を生涯の友としてくれることを祈りつつみんなで乾杯しました。
ガリュウ峠敗退記(パスハンターはハンターに敵わない) 2008 年 12 月 14 日
日曜日は天気が悪そうなんで12月13日(土)に久しぶりにライジンパスハンターを引っ張り出しました。しかし出発時にいろいろトラブルがあり、9時の発走となってしまいました。リュックサック、登山靴、ニット帽で自転車に跨がります。典型的な”山サイ研スタイル”です。30年近くもこんな格好でサイクリングしてます。ウェストバッグに忍ばせたポケット瓶も昔からの習慣ですね。”小平の大杉”10時着で大休止。割と早く来れた。
今日はみどり市大間々町奥の小平地区から桐生市梅田町高沢(こうざわ)地区に越える”ガリュウ峠(仮称)”を探索に来たのです。文献にもネットにもほとんど資料がありません。私の知る限り、桐生山野研の記事が唯一です。
http://akanekopon.hp.infoseek.co.jp/sanyaken4.html
ここで地元の人が山仕事ををなさっているのを見つけ話を聞かせていただきました。
1.峠の名称は知らない。
2.小平から高沢へ行く道はあった。私も通っている。
3.小平と高沢よりも小平と赤芝(桐生市川内町)の方が往来が頻繁だった。
4.ガリュウとは沢の名称である。意味は知らない。
5.現在は高沢側は道は不明瞭であり、道型はほとんど分からないであろう。しかしルートを知っていれば
今でも行けるであろう。しかしルートを知らなければ谷が深いので難しい。
大体このような話を伺うことが出来ました。貴重な情報です。で、本日の予定を決定です。ガリュウ峠になんとしても登る。自転車を置いて高沢側の偵察を行う。納得できたところで尾根通しに”椚田”の鞍部まで縦走。高沢側に下山し帰宅。おお!なんと山サイ研らしいプランだ!
孫林道をロー&ローでゆっくり上っていきます。車があちこちに止まっていて鉄砲ぶちが結構入っています。”孫”の集落跡は全く分かりませんでしたが路傍に石仏群があり、この辺りだったのかと想像を巡らします。激坂となった林道は自転車を押して歩くのも大変な勾配となり、やがて右手に林道”ガリュウ線”を分岐します。ますます急勾配で道も荒れ車道とはいえ押すよりも担ぐのが楽なほどです。このパスハンターは担ぎやすいなぁ。MTBとえらい違いだ。11時半林道終点到着です。山野研の記事通り小さな祠がありました。その祠の先の木の根本に人間が彫像のように身じろぎもせず座っているのに気がつきました。目出帽をかぶりライフルを抱えています。「こんちわ!」挨拶をするとその男は座ってライフルを抱えた姿勢を一切崩すことなく、低い声で「ここからおりてください。」その時私の思ったことは「姜尚中”の声にそっくりだぁ!!」以下多少脚色つきのやり取り。
「この沢を行きたいのです。」「降りてください。」「猟がすむのはどのくらいですか?」「わかりません。降りてください」「待ってますから」「とにかく降りてください。」「法的にはどうなんですか?」「降りてください。」「どこの猟友会ですか?」「降りてください。」
話もできません。相手は姿勢も崩さず。怒りもこみ上げてきましたが気持ちの悪さが先立ちます。「きもい!!」「こわい!」私は気も弱いし腕力も弱いしけんか慣れはしてないし、不気味なライフル男にこれ以上関わりたくなくなりちょっと恐ろしい気もしてきて、撤収しました。帰路、林道の駐車スペースにいたハンターグループのリーダーらしき人と話をしました。(M本さん)それによるとM本さんのグループは何組かに分かれてこの付近で猟をしている。くだんの人間がM本さんのグループかどうかは分からない。自分のグループだったとしたら誠に申し訳ない。厳重に注意する。ハンターも山歩きの人も同じく楽しみで山に来ているのだから互いに尊重しなければならない。自分なら気をつけていってくださいという。人が通行する旨を無線連絡をする。などと話してくださいました。山でハンターに遭遇することは猟の解禁時期はこの山域では珍しくありません。法的な意味も含めてどういう風に対処していくのが正しいのでしょうか?M本さんのような方ばかりであればなんの問題もないのですが。
判然としない気分の中小平鍾乳洞から桜峠で遅い昼食とし、旧道を経て長尾根集落の手前の鳥居から山頂の神社(琴平宮?)へと登り午後、明るい日差しの中冬枯れの低山歩きを満喫して帰宅した。
米沢牛は遠かった。。 2008 年 11 月 3 日
久しぶりの1泊ツーリングは福島市から米沢に泊まり翌日喜多方まで走りました。
たいした距離も標高差もなくのんびりとしたモンですが、連日の向かい風は少しは頑張りなさいという天の思し召しで体力消費3割り増しくらいの勘定で結構つらかったす。それに風が冷たかったな。
一日目の印象としては「国道13号線恐怖のトンネル」「峠駅のお雑煮餅」「(新)板谷峠の急坂」などなど、、二日目は「(新)檜原峠ひたすら押し上がり(トホホ)」「歴史の道と紅葉」「喜多方ラーメン」などど、、、別途ツーリングレポートそのうち書きますね。

で、米沢牛が遠かったという与太話。米沢市内には日もまだ高い2時頃についてしまったが歩道走行中パンク。道端で直しているとジムニーのオッチャンがわざわざ車を止めて話しに来ました。MTBを始めたばっかりで興味があったとのこと。いろいろ能書きをたらしまくって差し上げました。市内見物をしてビジネスホテルに入ったのもまだ夕餉には全然早い4時頃。軽く部屋で一杯やって一眠りしてから「牛食うぞ!!」という計画で店も当たりをつけておいたのです。汗を落としコンビニで仕入れてきたビールとイカの薫製。「あ~うめえ!!」。氷もあったのでウィスキーの水割り。テレビ見ながらいつの間にかうとうと。幸せなひとときですね。意識はとぎれ深い闇が私を包む。はっと、目を覚まし、時計を見る10:49数字が目にはいる。「ギョエ~寝過ごした。」空きっ腹を抱えて思案しても今更「牛食いに行く」という選択肢は出てきません。かくしてザックをあけて非常食用というか予備のおにぎりパンなどをもしゃもしゃとかじり夕食終わり。「金かかんなくて良かったなぁ」。
翌日檜原で新蕎麦を、と目論んでいましたがそれも食い損ない、最期は喜多方のラーメンが締めとなったとさ。
神流川より秩父へ 2008 年 10 月 13 日
10月12日(日曜日)は秩父は吉田の「椋神社」の龍勢祭りが行われる日です。山サイ研の10月の集中ランはこれに合わせて椋神社13時集合で行われました。桐生から秩父は割と行きづらいのです。直線距離に比較して自動車でも結構時間悔いますし、列車はといえば「不便」の一言。思案のあげく神流川から峠越えで現地を目指すことにしました。天気予報は上場。龍勢への期待と共に秋天の青さの下の峠路も楽しみです。

桐生から群馬藤岡まで輪行しました。早立ちのおかげで7時には藤岡を神流湖に向けて出発できました。西風も止んできていい天気だなぁ。サァイクリングゥ、サァイクリングゥ、ヤホーヤホーッ!太田部橋を神流川右岸に渡ればそこは埼玉県秩父市。太田部集落は秩父に属します。でも秩父に行くには神流川南陵の尾根を越えねば成りません。

急坂を上り太田部の中心地小指集落から相見集落へ寄り道をします。吉田小学校の太田部分校を見たかったからです。畑仕事のおじいさんとしばらく世間話をします。「20件位になってしまった。」「若い者は出てった。」「子供は一人もいない。」「学校はとっくに廃校だよ。」などなどネガティブだなぁ。お礼を言って分校を目指して走っていくと前方からニコニコ歩いてくるのはおばぁさん。聞けば龍勢祭りに行くので知り合いが迎えに来てくれるので少しでも近くにと歩いているとのことでした。「おいらも龍勢に行くので会場で行き会えるといいね。」などを世辞を言って見送る。
分校はこの山村にあって何とも不釣り合いな建物。銘板を見ると昭和62年竣工とのこと。20年前は分校を建て替えるほど子供がいたということだ。このメルヒェンチックな建物と子供たちの歓声のざわめきはこの村の未来への希望だったに違いない。地域社会は確実に崩壊している。
太田部峠はどこだかよく分からない。舗装された林道が縦横に走り旧道は草に埋もれ本来のルートとはまるっきり違うようだ。何はともあれ「秩父」へ下ろう。下りつく最初の集落は「半納」である。斜面にへばりついている。典型的な秩父の「耕地」である。半納集落といえば神官をのぞいた全戸が「秩父事件」に参加したことで名高い。秩父困民党の再評価が進む中思う。この山中での苦しい生活の中、家族を残して戸主や若者が武装し命を賭し「椋神社」へ向かったのだ。そんな感慨の中私も椋神社に向かい自転車を走らせる。
十石峠 2008 年 1 月 2 日
旅先で朝を迎えるのはいいもんだ。目が覚め見慣れない天井の模様などに自分が誰でどこにいるのか理解するのに一瞬の間がある。(加齢による惚け症状なんだよ)朝食を済ませ旅支度をして外に出る。
氷点下5度など気温を測っているものもいます。でも無風快晴でまずまずのコンディション。途中の神社で初詣も済ませ武州街道をゆっくりと上州目指して進ん
でいきます。古谷ダムを過ぎ抜井川を左岸に渡れば路面は雪に覆われます。凍結した路面に昨夜の雪が数センチ積もった状態で乗車して行くに問題はありませ
ん。毎年1月2日にこの峠を越えるのはもう何回目でしょうか。マンネリといえばマンネリですが、すばらしいマンネリです。続く限り続けたいですね。
この晩は上野村野栗沢のすりばち荘泊まり。家族連れのメンバーも加え「新年会」は楽しかったです。

余地峠を越える 2008 年 1 月 1 日
毎年の正月を西上州で過ごすのが恒例です。K氏を中心にして今
回が30回目の正月ランです。30回とは当たり前ですが30年続いているということです。継続は力なりといいますがたいしたものです。私は中抜けもありま
すが5回目当たりから参加しているようです。年取るわけです。初めの頃は4泊5泊してどん欲に道の峠道漁りをしたものです。しかし最近は古い友達と会って
一献傾けるのが楽しみで出かけていく面が大きいようです。年に一回このときにしかお会いできない方もおります。大晦日は珍しく家族4人が勢揃いして年を越
しました。お父さんはうれしくて少々の見過ぎて新年早々元旦から朝寝坊で、起きたときには病院勤めの次女は当直とかですでに出勤した後でした。
愛車レガシーワゴンに今回はルイガノMTBを積んで出発。南牧村の民宿「おかしら」を目指します。この宿には前夜仲間が何人か泊まって年を越してい
ます。庭先に車をデポさせていただき、山支度に服装靴を整えます。今晩は佐久の羽黒下駅前の旅館、羽黒館に宿泊ですのでいずれのルートを取るにしても上信
国境を越えねばなりません。ここからだと田口峠、大上峠、余地峠などが候補に挙がります。このうち田口峠は最近走りましたし、大上峠ではちょっと物足りな
いので、余地峠越えと決めましたが、問題は林道経由か旧道経由かです。ま、行ってみて考えましょ。昨年の台風9号の爪痕がこの地域にどんな影響があったの
かで旧道が通れない可能性もあります。
この日は強い冬型の気圧配置で寒いのですが薄日の差す中11時15分頃の旅立ちになりました。砥沢、勧能など山里の間をのんびりと走り抜け、この谷
最奥の集落「熊倉」に上りついたのはもう12時をまわっていました。大上峠、余地峠への林道を左に見送って沢沿いに直進して余地峠旧道に入ります。かって
は自動車もかなり奥まで入れたのですが、初っぱなから崩れたところがあり、自動車はもう全然入れません。「荒れたなぁ」というのが感想です。ここに来るの
は10年ぶり5回目のことです。
「象
が滝」の分岐を見送りしばらく行くと道標があり、旧道は右手に上っていきます。ここからは沢から徐々に離れ、いかにも旧道とうムードになってきました。杉
林を抜け馬頭尊の石碑の前で一服し遅い昼食としました。この辺から雪がちらちら落ちてきました。塹壕状の旧道はちっとも傷んでいませんでした。廻りの木々
が生長しやや暗いイメージになりましたが、やはりいい感じ。薄雪を踏み踏みMTBを担ぎ上げます。最後に間伐した檜がばたばた倒れ行く手を塞がれました
が、2〜300m位で林道と合流でき一安心となりました。
林道にはいると靴跡が二人分、自転車を押した轍が1台分。林道が結構雪が多いので、おひとかたは担いだ方が楽との判断でありましょう。「おかしら」
から選考している仲間のものに違いはありません。私も初めは「押し」でしたが登るに従い腕力に負担がかかるようになり雪の林道を担いで淡々と歩きます。馬
頭尊を横にみて林道終点近くから左に入り峠を目指しますがこの辺から降雪と共に風も強くなってきました。崩壊地を乗り越えて一登りで峠に着きました。石仏
や石塔が如何にも古い峠の印象です。しかし吹雪となってきた空模様にのんびりとはできません。手袋をゴアテックスのものに変えフードをかぶり下山開始。
荒
れた林道を慎重に下ります。単独行で吹雪の中、落車事故だけはごめんです。ダムより舗装路となり路面の雪もまばらになりほっとしました。懐かしい「峠の
湯」を右にみて後は今宵の宿を目指して雪道をひた走りました。午後4時ちょうど羽黒館に投宿。今年は皆到着が早く、懐かしい顔がそろってました。この日は
8人が泊まり楽しい語り合いが続きましたが私は例によって「過飲により沈没」

















